その垂れ流し自己分析ツイートをする必要が本当にあるのか
たとえばTwitterでいつも頭の中を垂れ流していないと気が済まない人がいる。
そう、お前のことだ。
もちろん溜め込んでいるとストレスになるのはわかるし、文字としてツイートすることで新たに見えてくるものもあると思う。
一方で頭の中を垂れ流すということは、良いことも悪いことも関係なく強制的に他人の視界に入れるということでもある。
良いことなら全然垂れ流しても構わない、むしろ積極的にツイートするべきだと思う。問題は悪いことを垂れ流す場合だ。
悪いことといっても種類がある。例を挙げるならば悪口や愚痴、またネガティブな言葉などといったものだ。
このうち悪口や愚痴は、よほど周りが捻くれている人ばかりという環境でない限りは他人の視界に入れるべきではないのは明らかだ。
ただしネガティブな言葉、これについては取り扱いに気をつけた方がいい。
どういうことかというと、お前にとってはネガティブな感覚で書いたつもりのなかった内容でも、他人からしたらネガティブに見えることがしばしばあるからだ。
こういった経験はないか?
「〜だから自分は無能」だとか「○○だから一生独身だ」とかいう他人のツイートが視界に入って嫌な気持ちになってミュートしたことが。
冷静に考えればこのような類の自虐は、ツイートをしている人たちにとっては事実を結びつけただけのごく普通の内容であり、意味だけを考えれば自己分析のようなものだと思う、冷静に考えられればだ。
でも実際は上のように考えて受け流すことはできず、ネガティブな雰囲気を受け取って嫌な気持ちが生まれてしまう。これはどういうことか。
それは、TL上のツイートそれぞれに着目する時間があまりにも短いゆえに、いちいち冷静に考えられるだけの余裕が生まれず、目立っているネガティブな単語の雰囲気から文章の意味や印象を受け取ってしまっているということだ。
つまり人は瞬時に自虐と自己分析の見分けが簡単にはつかないといえる。
また自己分析自体が「問題点→考察→結論」といった流れを辿るため、いくら真面目に書いたつもりでも他人の目にはグチグチと不満垂れているようにしか映らないのだ。
これらと同じ現象がお前の発するツイートでも起こっている。
お前は過去の様々な失敗の罪悪感から常に内省や反省をするクセがあり、よくツイートで長々と自己分析をしていると思う。冒頭でも言ったように頭の中を垂れ流さないと気が済まないからだ。
また内省や反省をするほどなのだから、その内容は少なくともプラスのものではないはずだ。
そのような内容の自己分析をTL上で行うとどうなるか?
マイナスな単語や雰囲気に満ち溢れたお前の長文ツイートが"""強制的"""に他人の視界に入ることになる。
これは他人からすればたまったものではない。自分の意思とは関係なく嫌な気持ちになるツイートが画面にズラリと現れるのだから。
さっきも言ったように人は自虐と自己分析の見分けを瞬時につけられない。
お前は真剣に自己分析をしているつもりだとしても、その行為自体が他人にネガティブな雰囲気を与えているのだ。
今回、自己分析をツイートすることの注意点は主に以下の2つだ。
①自己分析ツイートは相手の意思関係なく強制的に嫌な気持ちにさせる
②自己分析ツイートはその行為自体が自らをネガティブな人間に映させる
「相手を強制的に嫌な気持ちにさせてもいい」or「ネガティブな人だという印象を抱かれてもいい」のならスタンスを変える必要はない、どうぞ貫いてくれ。
それらが耐えられないのであれば今すぐにでも自己分析ツイートを止めることだ。
どうしても垂れ流したいのであればTwitterという場ではなく、ブログのような「見たい人だけが自らの意思で読むことのできる場」に書いていくことだ。