拝啓、未来のお前へ

未来の自分に向けたライフマニュアル

そこのお前、500円を4回使ったら2000円だぞ?

お前はこう思っただろう。

「コイツは一体何を言っているんだ? 何を当たり前のことを」と。

その通りだ、タイトルだけを考えれば当たり前のことを当たり前に書いているだけだ。

だが私生活を思い返したらこの重みがわからないか?

 

まず、お前は「500円」のことを"何も考えずにパッと払える金額単位の最大値"のように考えていると思う。

しかしその500円を甘く見すぎていると言いたい。

そしてお前の私生活においてどの行動にあたるのかを今一度思い出してみてほしい。

 

おおよそは以下だろう。

 ・コンビニで1食を済ませる場合

 ・電車やバスで軽く出かける際の往復料金

 ・ゲーセンに1回入った時に使う額

 ・1日で買う馬券

 ・喫茶店に1回入った時に使う額

 ・安めの外食1回分(マックやサイゼ、牛丼など)

 ・一合瓶日本酒1本分

 ・安めの漫画や文庫本1冊分

 ・ブックオフに1回入った時に使う額

 ・中古のCD、DVD1枚分、または安い中古のゲーム1本分

 

上に挙げた行動一つ一つを見れば大したことではない。 ただお前の場合はこれらの行動を1日にいくつも行なっていることが問題なんだ。

 

例えばどこか近くへ電車で出かけるとする。まずこれだけで交通費として500円消える。お前の場合、出かけたからには何もせず帰るということはしないはずだ。

そして寄り道としてふらっと喫茶店、本屋orブックオフ、ゲーセン、軽食でコンビニ辺りに足を運ぶのが大体の行動パターンだ。

これだけでも上に挙げたリストのうち4つは行なっている。つまりその時点で交通費を除いて2000円は使っていることになる。仮にあまり行動しなかったとしても1000円は使うだろう。

 

さっきも言ったが、これら一つ一つをお前は「何も考えずに」行なっている。 それまでいくら使ったかなんて考えもしない。だから気付かないうちに財布の中身が減っていく。 そしてすっからかんになっているのを見て初めて自分の行動を思い返し後悔する。

 

はじめに挙げた500円の行動を1つでも2つでも、また可能なら全て我慢したらどうだろうか? それだけでも他のもう少し高いものが買えたり次の遊びに回したりすることができると思う。

たった2回我慢すれば1000円、4回我慢すれば2000円も他に使うことができる。

 

 

まず1000円あった時に普段の生活でよく行うであろうことは以下だ。

 ・新書、高めの文庫本、漫画全般が買える

 ・中古の少し高めの本が買える

 ・1杯のラーメンを食べに行ける

 ・量の多い外食ができる

 ・少し高めのお菓子やスイーツが食べられる

 ・安いセットを提供している居酒屋に行ける

 ・大浴場に入ることができる

 ・美容室で前髪カットができる

 ・肉の大容量パックが買える

 ・ちょっとした日用品が買える

 

これらだけでもかなりいい気分になれるのではないか? 500円の行動のうち""たった2つ""我慢しさえすれば簡単に幸せな気分になれるということがわかるだろう。

 

そして2000円もあれば普段なら躊躇してしまうようなこともできるようになる。

 ・ピアノスタジオの安い部屋を1時間使用できる

 ・居酒屋で軽く1人飲みができる

 ・しっかりしたランチやディナーに行ける

 ・パンケーキを食べに行ける

 ・映画に行ける

 ・安めの楽譜が買える

 ・安めの日本酒が買える

 ・安めの服が買える

 

ほんの少し挙げてみたが、おそらくお前ならこれだけでもワクワクするリストなはずだ。

 

以上から1000円、2000円手元にあるだけで幸せになれる手段がこんなにも増えることがわかったと思う。

何も考えずに使う500円を積み重ねるよりもずっと人生が楽しくなると思わないか? 楽しくしたいのなら次に言うことを今からでも行なってほしい。

 

 

500円を使う時、またそれに相当することを行おうとした時に頭の中でカウントしろ。

「この1回を我慢すれば○○に近づく」「あと×回我慢すれば○○に行けるor買える」といった具合だ。よくあるスタンプカードのようなイメージを持ってもらえればいい。

可能なら、我慢できるできないに関わらず、何を我慢したか(しようとしたか)とその日付を紙でもスマホでもいいから残すこと。

こうすることで我慢できた場合は目標に近づいていることが実感できるだろうし、我慢できなかった場合も反省材料になり次に繋げられる。

 

実行して、我慢することが後の幸せにつながる場合があることを実感してもらえたら幸いだ。

その垂れ流し自己分析ツイートをする必要が本当にあるのか

たとえばTwitterでいつも頭の中を垂れ流していないと気が済まない人がいる。

 

そう、お前のことだ。

 

もちろん溜め込んでいるとストレスになるのはわかるし、文字としてツイートすることで新たに見えてくるものもあると思う。

一方で頭の中を垂れ流すということは、良いことも悪いことも関係なく強制的に他人の視界に入れるということでもある。

良いことなら全然垂れ流しても構わない、むしろ積極的にツイートするべきだと思う。問題は悪いことを垂れ流す場合だ。

 

悪いことといっても種類がある。例を挙げるならば悪口や愚痴、またネガティブな言葉などといったものだ。

このうち悪口や愚痴は、よほど周りが捻くれている人ばかりという環境でない限りは他人の視界に入れるべきではないのは明らかだ。

 

ただしネガティブな言葉、これについては取り扱いに気をつけた方がいい。

どういうことかというと、お前にとってはネガティブな感覚で書いたつもりのなかった内容でも、他人からしたらネガティブに見えることがしばしばあるからだ。

 

こういった経験はないか?

 「〜だから自分は無能」だとか「○○だから一生独身だ」とかいう他人のツイートが視界に入って嫌な気持ちになってミュートしたことが。

冷静に考えればこのような類の自虐は、ツイートをしている人たちにとっては事実を結びつけただけのごく普通の内容であり、意味だけを考えれば自己分析のようなものだと思う、冷静に考えられればだ。

 

でも実際は上のように考えて受け流すことはできず、ネガティブな雰囲気を受け取って嫌な気持ちが生まれてしまう。これはどういうことか。

それは、TL上のツイートそれぞれに着目する時間があまりにも短いゆえに、いちいち冷静に考えられるだけの余裕が生まれず、目立っているネガティブな単語の雰囲気から文章の意味や印象を受け取ってしまっているということだ。

 

つまり人は瞬時に自虐と自己分析の見分けが簡単にはつかないといえる。

また自己分析自体が「問題点→考察→結論」といった流れを辿るため、いくら真面目に書いたつもりでも他人の目にはグチグチと不満垂れているようにしか映らないのだ。

これらと同じ現象がお前の発するツイートでも起こっている。

 

お前は過去の様々な失敗の罪悪感から常に内省や反省をするクセがあり、よくツイートで長々と自己分析をしていると思う。冒頭でも言ったように頭の中を垂れ流さないと気が済まないからだ。

また内省や反省をするほどなのだから、その内容は少なくともプラスのものではないはずだ。

そのような内容の自己分析をTL上で行うとどうなるか?

 

マイナスな単語や雰囲気に満ち溢れたお前の長文ツイートが"""強制的"""に他人の視界に入ることになる。

これは他人からすればたまったものではない。自分の意思とは関係なく嫌な気持ちになるツイートが画面にズラリと現れるのだから。

 

さっきも言ったように人は自虐と自己分析の見分けを瞬時につけられない。

お前は真剣に自己分析をしているつもりだとしても、その行為自体が他人にネガティブな雰囲気を与えているのだ。

 

今回、自己分析をツイートすることの注意点は主に以下の2つだ。

 ①自己分析ツイートは相手の意思関係なく強制的に嫌な気持ちにさせる

 ②自己分析ツイートはその行為自体が自らをネガティブな人間に映させる

 

「相手を強制的に嫌な気持ちにさせてもいい」or「ネガティブな人だという印象を抱かれてもいい」のならスタンスを変える必要はない、どうぞ貫いてくれ。

 

それらが耐えられないのであれば今すぐにでも自己分析ツイートを止めることだ。

どうしても垂れ流したいのであればTwitterという場ではなく、ブログのような「見たい人だけが自らの意思で読むことのできる場」に書いていくことだ。